現在では当たり前に使われているLinux。
もともと、どのような経緯でできたのかご存じだろうか?
このページではLinuxの歴史について解説する。どのような経緯で、どのような背景でできたかを知っておけば、Linuxを学ぶモチベーションにもなるだろう。
Linuxはエンジニアを目指す上で、またスキルアップをしていく上で重要なキーワードだ。
目次
Linuxの歴史 UNIX時代
OSのはじまり
そもそもOSというものそのものが誕生したのは、1960年代だ。当時、コンピュータにOSという考え方は存在しなかった。
現在のコンピュータでは、OSが通訳になってアプリケーションを動かしている。例えば、メモリやCPUの違いなどはすべてOSが吸収してくれている。しかし当時はアプリケーションごとにコンピュータを用意するような感覚だった。
計算用なら計算用のコンピュータ、事務処理用なら事務処理用のコンピュータというイメージだ。
これはコンピュータの商売をしている企業にとって、困った状況だった。なぜかというと、少量しか売れないものを多種作るのは儲からないからだ。
想像してみてほしい。目玉焼き用のフライパン、ホットケーキ用のフライパン、チャーハン用のフライパンという風に料理ごとにフライパンをカスタマイズして販売しなければいけなかったらどうなるだろうか?
大量生産ができずに、ひとつひとつのフライパンの値段が高くなるのは間違いない。同じ理屈である。
もちろん、買う側も不便だった。
そこで、商用のコンピュータを売っていたある企業が、効率的にするために作成したのが「OS」だ。開発企業がIBMである。
現在はPCを売っていないので知らない方もいるだろうが、IBMはもともと世界一のコンピュータメーカーだった。現在は時代の流れの先を読み、コンピュータ部門をすべて売り、コンサル事業、そしてAI事業にシフトしている。現在のPCメーカーの苦境を見ると正しい選択だったのだろう。
話を戻そう。
実際にはIBMが作成する以前からOSライクなものはあったが、概念として確立されていたとは言い難い。IBMのIBM System/360が最初だと思っていいだろう。
ここからOSは急速に進化を遂げていくことになる。
UNIXの誕生
同時期に、アメリカのベル研究所でMulticsというOSが作られた。目指したところは、多機能のOSだった。現在のコンピュータにつながるような素晴らしい発想で作り始められている。
しかし、残念ながら、そのプロジェクトは失敗に終わる。機能を入れすぎたというのが主たる原因だった。OS本体が大きくて複雑になりすぎてしまい、当時のコンピュータのハードスペックではろくに動かなかったのだ。
Multicsの開発に関わっていたベル研究所のケン・トンプソンがこの失敗を糧として新しいOSを作成した。それが「UNICS」である。
Multicsという名前の、mult(複数)をuni(単独)に変更しているのがわかるだろう。これだけでもこのUNICSが何をしたかったのか伝わってくる。Multicsの失敗をもとに、よりシンプルな小さいOSを作ったのだ。当時のコンピュータ事情を勘案すると良い選択肢だったのだろう。
このUNICSというソフトウェアは急速は広がりを見せていく。もう、お分かりかもしれないが、UNICSという名前が後に変更されてUNIXになった。
UNIXの配布
ここからは、時代の妙だ。
AT&Tという会社は現在でもアメリカの電話会社として有名だが、もともと電話の発明者であるグラハム・ベルが創立した会社である。ベル研究所も名前の通り、AT&T社に属していた。
実は、AT&T社は当時、独占禁止法によりコンピュータ産業への進出は禁止されていた。アメリカの歴史にはよくこの独占禁止法が出てくるが、AT&Tは分割されたり買収を禁止されたりと大きな規制をかけられている。
ベル研究所がUNIXを作りながらも、UNIXを販売することができなかったのだ。そのためUNIXは実費程度、利益が出ない程度の少額で色々なところに配られるようになる。
特に大学や研究所で急速に普及した。少額とはいっても個人で払うにはそこそこかかったが、コンピュータを利用できるような大学や大きな企業や研究所では自由に買えるような値段感だったという話だ。
ソースコードも公開されていたため、ここから様々な派生版のUNIXが誕生することになる。
ライセンスとシェアの争い
派生版のUNIXが誕生しすぎたため、まとまりがなくなっていく。また、これが大きなビジネスになる可能性にもAT&T社は気づいた。AT&Tと契約を結んだ組織のみが、自社のOSをUNIXと宣言できるようになった。
その後は、このライセンス縛りの影響が強く出てくる。ちなみに、AT&Tが認めていないOSをUNIX互換OSなどと呼ぶようになる。
1985年から1995年までの10年間は、色々な会社がシェアを取りにUNIXマシンを製造していた。ライセンス問題は色々なところでこじれにこじれる。また、企業間の争いも激しかった。お互いの足を全力で引っ張り合う状態だった。
しかし、残念ながら、そんな争いをしていたため、すべてを横からかっさらわれてしまった。
最終的に圧倒的シェアを獲得したのはご存知、Microsoft社のWindowsだ。すべてのUNIX系OSを出し抜き、標準OSの座を一気に手にいれてしまったのだ。
ビル・ゲイズの手腕には目を見張るものがあるが、ライセンス等を緩めていればUNIX系OSにもきっとチャンスがあっただろう。
Linuxの歴史
Linuxの誕生
さぁ、ようやくLinuxの登場だ。
Linuxは1991年にリーナス・トーバルズが開発したOSだ。当時、なんと大学生。フィンランドのヘルシンキ大学にいる普通の大学生だった。
リーナス・トーバルズは学校の授業で渡されたUNIX(Minix)の機能が不足していると感じ、ターミナルエミュレータを自力で作成することにした。
はじめはMinixを改造していたのだが、改造というよりもはや作り変えのレベルだった。改造した部分だけで、ほとんど自力で動いてしまうところまで弄ってしまったのだ。
せっかくの機会だからとOSをゼロから作成をし直す。
AT&TのUNIXは著作権の問題もあり、色々と面倒だというのは当時わかっていたため、独立したものを作成した。
それがLinuxだ。
ゼロから作り直しているので、LinuxはUNIXとは違う。あくまでも参考に作られただけで、別物だ。参考に作ったためコマンドなど色々な点は似ているが、ソースはまったく別物になっている。
リーナス・トーバルズという天才が作り上げた、まったく新しいOSだと思って頂いて構わない。
リーナス・トーバルズは天才と呼ばれるにふさわしい人物だ。彼の発明はLinuxだけではない。GItというバージョン管理ソフトも作っている。Gitも本当に素晴らしいシステムで、多くのIT企業に普及し、今ではバージョン管理のスタンダードになっている。
Linuxの成長
今でこそ、オープンソースの代表格としてあげられるLinuxだが、当初はオープンソースとして作られた訳ではない。完全にリーナス・トーバルズの勉強用として開発されたものだった。
・できがよかったため、多くの人に見てもらいたかった
・それに関してアドバイスをして欲しかった
という二つの理由からソースの一般公開を開始。
友人からの「オープンソースライセンスを使うといい」というアドバイスから、オープンソースライセンスがついた状態での公開となった。
1991年にLinux version 0.02をリリースし、ここからLinuxの快進撃が始まる。
先ほどLinuxはUNIXから独立した別物だという話をしたが、Linuxの普及にこのことは大きく影響している。
他のUNIX系OSはライセンスで縛られていたため、自由な公開や改良がしにくかったのだ。反面、Linuxはオープンソースだ。自由に改変もできるし、それを使った商売もできるようになった。
わずか2年の間に実用に耐えられるだけのLinux ver1.0がリリースされる。有志たちの手による驚異的なスピード感だった。
1995年以降
1995年以降になると、IBMやHP、インテルなどのプログラマーも参加し、Linuxは市民権を獲得していく。2000年代になると、Microsoft社への反発もあり欧州で政府機関に取り入れられていく。
2010年代からはサーバーで圧倒的なシェアを獲得するようになる。実際、2011年から2014年にかけて、企業でのLinuxの導入率は65%から79%に増加した。
反面、Windowsの導入率は45%から36%に減少している。今後も、クラウドの分野を見れば、この傾向が強くなっていくだろう。
また、スマートフォンのAndroidも、元はLinuxだ。世界中のスマートフォンにLinuxがインストールされているということになる。今後もLinuxのシェアは伸びていくだろう。
まとめ
Linuxの歴史を簡単にたどってみたが、いかがだっただろうか? UNIXとの関係や、Linuxの立ち位置を少しでもつかんで頂ければと思う。
1人の天才が作った基礎を、世界中のエンジニアが育て上げたロマンとも言えるのがLinuxだ。
ぜひ、まだLinuxを触ったことがないエンジニアは自分のマシンに入れて動きを確かめてみてほしい。
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